神子畑選鉱所跡、古くは上部に神子畑鉱山があり、明延鉱区が開発されると共に、
鉱山下の急斜面を利用して選鉱所が作られた、東洋一の選鉱所の名の示すとうり、
明延の鉱石を昼夜を問わず選鉱し、不夜城のようであったと語られているのだが、
現在はコンクリート土台が残り、両脇には選鉱で排出された残土ダムが残るのみ、
付近の街の衰退も激しく誰が言ったか、その名に違わぬ「東洋のマチュピチュ」、
それでもその選鉱所跡の下に立つと、当時の賑わいと活況がしのばれる場所だ。

☝インクラインの下より選鉱所跡を望む、巨大なコンクリートの廃墟そのもの

☝新神軌道起点付近より幅110m、斜行距離165mm、高さ75m、階層22階の威容

☝両側には写真の神子畑ダム(写真)と鳥の奥ダムがある、ズリでできたダムだ。

☝円形シックナー(分離機)が残る最下部、上部には明神電車の線路があった。

☝円形シックナーは取り壊されずに現存30mを筆頭に5基が健在している。

☝シックナー下部にはロッドミルやハイドロクラッシャー、比重選鉱器などが残る。

☝保安第一・明延鉱業の看板も健在、よくぞ残してくれました感謝感激です。

☝道の駅あさごからこの地に移された、明神電車の車両も展示されています、
NO5電気機関車(色が現役時と違う)と、わかば(客車)、グランビー鉱車

☝資料館を兼ねる元鉱山お雇い技師の家、ムーセハウスは休日のみ開館
開けた場所に残る神子畑鉱山の遺構、立入はできませんが当時の雰囲気に満足、
今はまだ付近が整備されただけですが、いつかは選鉱所の最上部の遺構などを、
身近に見れるような保存方法などに、進んでいってくれればと期待しています。