紀勢線は電化開業まではDC(ゼィデールカー)王国であった・・・・・・
南紀へ向けてき「のくに」「しらはま」「くろしお」「紀州」などが長大編成で走っていた、
12両編成の急行列車で、ドアは開きますが3両がホームから外れているなど日常、
今なら大問題であろうが、当時はホームも短く乗車するお客様も心得ていたとか?
電化後もDC急行「きのくに」は残り、1985年の春ダイヤ改正で特急に格上げされ、
東北新幹線で余剰となった、485系を使用した特急「くろしお」として消えていった、
南海電鉄からの乗入れ車両として、キハ55系が白浜・新宮まで乗り入れていたが、
DC急行最後までクーラーなしで急行として、使用されていたのには脱帽する。
電化と同時に381系が走り出したが、振り子式の為にカーブで大きく傾斜する等で、
列車酔いする人が増え、遅くともDC急行列車のほうが良いとお客様が増えたとか?