2020年06月

シュードペリシテス

鳥屋城山東側の旧長谷川峠(伏羊から長谷川に抜ける旧道)の北斜面で採集、
付近はカンパニアンからマストリヒシアンの時代の地層が見られる地域で、
尾根筋には固い岩盤となる部分が多く、その中に大型のノイジュールが見られる、
無化石の物が多いのではあるが、時々保存状態の良い化石を含むノジュールがあり、
ノジュール中心から外れて化石が見られる、半亀甲石化したノジュールに含まれていた。

保存状態は殻自体が方解石化して分離は悪く、採集時に雄雌泣き別れの状態であり、
この標本は大まかにいうと内側の印象化石、巻貝本体の内部の化石ということになる。
和泉山地の白亜紀からは保存の良いものが見つかる、この産地からはまれである、
殻が上下ともに円錐形に細くなる外見が特徴的、現生のオニコブシガイの仲間と考えられる、
半亀甲石化により頭頂部分が方解石化、ばらばらになり復元は不可能な状態だった。

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Pseudoperissitys bicarinata NAGAO 
和歌山県有田郡(旧)金屋町伏羊、鳥屋城層? 上部白亜系カンパニアン~マストリヒシアン

付近からはアンモナイト・デデイモセラスや、パキディスカスなどの保存の良いものや、
平巻移行タイプ(プラビトセラス?)と呼ばれるデデイモセラスも多く見つかっている。

夏野菜

夏野菜の収穫が好調だ、ここ数日の雨も手伝って成長が進んだのか?
食卓に夏野菜のおかずの比率が上がり、一部では食べきれないくらい・・・・
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特にキュウリが植付3本に対して、ほぼ毎日5本程度収穫することが可能で、
食卓をにぎわしているのではあるが、主菜となることのできないわき役的存在、
これをいかに料理にするかで嫁さんが奮戦、SNSを駆使して新しい1品に追加、
今日から「おくら」や「マクワウリ」の収穫も可能で、またまた野菜に追われそうだ。

準急 新東海

 東京~名古屋間で運転された、準急・新東海の愛称版(列車名板)です。

東京~名古屋間で増え続ける乗客対応で、準行「東海」は4往復に増えましたが、
益々の需要増大に伴い1959年9月22日に、1往復が増発される事になりました、
準急「東海」は全車自由席での運転ですが、増発の1往復は全車指定制が採用され、
愛称も”東海”の前に”新”を付けて差別化して、「新東海」として設定されました。
1961年10月に「新東海」を速達化、特急「おおとり」が誕生して愛称名は消滅します。

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この愛称版は和歌山の「長崎屋」で鉄道フエアが行われ、同時に鉄道部品が販売されました、
前夜から列に並び10番という良い順番でしたが、販売品は目新しいもの目玉品もなく・・・・
愛称版「はまゆう」行先版「串本・多気」など購入、2巡目にはめぼしいものがなくなり、
塗装板の「準急」を購入しましたが、元板の部分の凹凸が気になったので剥離したところ、
「新東海」の愛称版だとわかりました、行先板・愛称版を含め塗り替え代用品が多くあり
下の行先板もお座敷列車用ですが、青いホーロー板に上書き代用しているものです、
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塗装された行先板に愛着があるので剥離はしませんが、下地が何なのか気になる板です。

備後落合

1980年7月・夜行急行「ちどり」で深夜に備後落合で下車、芸備線の始発列車を駅舎で待つ、
旧型35系で編成された客車をDE10が引く、列車密度が多く構内は賑やかだった。

時は過ぎ1986年11月芸備線の客車列車に乗るべく、最終列車で備後落合で夜を明かす、
向かいの留置線には翌日の始発のDCが並び、ホームにはDE10と50系の客車列車、
昔の繁栄の時代を残す広い構内ではあるが、今は2本のDCと客車列車1本の3留置のみ。
   19861113_0027 備後落合DE10

5:30 DE10のエンジンが始動される、SG(蒸気発生装置)も動き始めて蒸気を上げる、
客車へゆっくりと暖房蒸気が送られ、冷えた車体がぬくもり始めると車内に灯がともる、
芸備線の1番列車6:20に乗車の為にホームに上がると、駅そばを期待したが営業時間外、
駅で湯をもらいカップ麺と前夜購入の駅弁で朝食、夜行列車が走っていたころを思い出す。

三池鉄道の終末

コロナウイルスに振り回された5月、三池鉄道が営業を終了していたのを知った、

三池鉄道(三池炭鉱専用線)は、炭坑節の一節で有名な三池炭鉱の専用線で、
三池炭鉱から内陸部へ向かい、運炭と従業員の輸送のために施設された鉄道で、
軌間1067mm総延長19Km(最盛期)で、1985年に旅客輸送は終了していたが、
細々と専用貨物の営業を続けていたが、2020年5月17日に129年の幕を下ろした。

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   👆三池本線の客車列車 原万田 20tB型電気機関車31号が引く
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   👆三池本線の客車列車 原万田 20tB型電気機関車が引く
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   👆👇 玉名線 原万田~大平間 20tB型5号機が引く列車
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  👆 三池本線 原万田 30tB-B型19号機の引く貨物列車

私が三池鉄道を訪れたのは1978年8月3日、寝台特急「安芸」に乗りに行ったとき、
次列車の山陰本線の「さんべ」までの待ち時間、荒尾まで乗車して同線を訪れている。
西鉄市内線から急遽訪問地を変更、今のようにネットで検索すればOKの時代でなく、
鹿児島本線の車掌に連絡駅を確認、荒尾から一番近い原万田まで徒歩で歩いて移動、
軸配置B又はB-Bの電気機関車が、電車改造の客車2両を引いて走る姿は好ましく、
玉名線・三池本線で数枚のカットを撮影、高圧鉄塔の下を走る勝立線が面白い構図だった、
一般乗車は不可ということであったが許可をもらって、玉名線の全線乗車をしている、
真夏の九州で無計画な行動、もう少し状況を確認していればと後悔している・・・・

プロフィール

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ギャラリー
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  • 寄り道2023 ㊴初島コンビナートの夜景
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