屈斜路湖から始まったカヌーツーリング、キャンプ場で合流の友人の到着待ち、
軽い夕食を済ませ湖畔でビールを傾ける、友人たちは到着が遅れ21:00になった、
再会を喜び2日間の登山の話の盛り上がり、大宴会の後24:00就寝・・・・
ゆっくり朝食をとり滄溟社の方を待つ、今日はカヌーツアーに参加して全員で川下り、
私には必要ないが一応カナディアンカヌーの講習、こちらのほうが開放感がある、
友人たちは初めてではあるが1時間で習得、総勢4艇で塘路湖から釧路川へ下る、
友人たちはカナディアン私は自艇、途中で乗り換えしながらワイワイ下るのは楽しい。
釧路川の合流点は時計回りの渦がある、カナデアンカヌーはあらぬ方向に流される、
本流に入れば後は速い流れに乗り下るだけだ、2馬力のカナデイアンカヌーは速い、
時間を気にせずゆっくりと流れに乗り、時には川岸の馬・牛をから買いながら下る、
3時間漕いで細岡のカヌーステーシヨンに上陸、友人たちは此処まで私は河口まで、
昼食をとりまたここからは一人旅の始まり、釧路市内での回収をお願いして出発した。
2020年07月
地元の老人たちがテント前を通る、早朝の標茶・開運橋はゲートゴルフの音で始まる、
前日の残り物とピザで朝食をとり再爆睡、今日は塘路湖までなのでゆっくり出発・・・・
周りに牧場が増え釧路川の水が目に見えて汚濁、生の糞尿が流れ込む河川もある。
五十石付近から釧路湿原に入る、名の通り昔は此処まで五十石船が入ってきたとか、
直線化水路工事により川幅が広がるが、その分水深が浅くなり泥に船足を取られる、
適度な流れがあるのでカヌーの上で昼寝、流れに任せて下ってみたがこれが面白い、
途中で気配を感じるのは牛や馬、時折タンチョウヅルがいるのだが先に感づき逃げる。
茅沼付近からはまた蛇行が始まる、小さな流れ込みを見つけて昇ったりして遊ぶ、
単独行のカヌーでは自分の写真が取れないので、川岸にVTRを固定して記念撮影、
源流部とはまた違った釧路川を楽しむ、午後川に張り出した枝にカヌーを固定した、
木陰になった所で風がある艇上の昼寝、1時間ほど楽しんで川下りを再開した・・・
河川開発局はお金が余っているのか、カヌーイスト向けの新しい看板が随所にある、
現在地やキロ程の看板や注意書きが多い、塘路湖への流れ込みを見つけ遡る・・・・
初めは流れに逆らい2.5kmほど漕ぎ抜ける、釧網本線の橋梁を抜けると塘路湖へ、
今夜の宿元村キャンプ場へ上陸、テント設営後時間があるので塘路湖湖上散策、
JR塘路駅まで遠征して買出しを行う、今夜は友人達と合流し明日は合同で川下り・・。
前日の残り物とピザで朝食をとり再爆睡、今日は塘路湖までなのでゆっくり出発・・・・
周りに牧場が増え釧路川の水が目に見えて汚濁、生の糞尿が流れ込む河川もある。
五十石付近から釧路湿原に入る、名の通り昔は此処まで五十石船が入ってきたとか、
直線化水路工事により川幅が広がるが、その分水深が浅くなり泥に船足を取られる、
適度な流れがあるのでカヌーの上で昼寝、流れに任せて下ってみたがこれが面白い、
途中で気配を感じるのは牛や馬、時折タンチョウヅルがいるのだが先に感づき逃げる。
茅沼付近からはまた蛇行が始まる、小さな流れ込みを見つけて昇ったりして遊ぶ、
単独行のカヌーでは自分の写真が取れないので、川岸にVTRを固定して記念撮影、
源流部とはまた違った釧路川を楽しむ、午後川に張り出した枝にカヌーを固定した、
木陰になった所で風がある艇上の昼寝、1時間ほど楽しんで川下りを再開した・・・
河川開発局はお金が余っているのか、カヌーイスト向けの新しい看板が随所にある、
現在地やキロ程の看板や注意書きが多い、塘路湖への流れ込みを見つけ遡る・・・・
初めは流れに逆らい2.5kmほど漕ぎ抜ける、釧網本線の橋梁を抜けると塘路湖へ、
今夜の宿元村キャンプ場へ上陸、テント設営後時間があるので塘路湖湖上散策、
JR塘路駅まで遠征して買出しを行う、今夜は友人達と合流し明日は合同で川下り・・。
竜華機関区配置の電気機関車2両、1984年3月1日付けで2台の電気機関車が廃車、
EF15147は53.10紀勢電化に伴い、大宮機関区から竜華機関区に転属してきた1台。
EF15202はEF15型機関車のラストナンバー、事故車両ということで和歌山操駅に留置、
2台とも異例の現地解体ということで処理された、旧型機であり貨物列車減少の折から・・
修理復活には至らなかったのが残念、検査終了後の147号ではあるが数日で解体された、
国鉄時代は車両というものの価値に気が付かない、商品として考える者が皆無なのか?
国鉄分割民営化を控え余裕がなかったのか、この2台は溶鉱炉で溶かされる運命になる。
1984年3月出張から帰宅途中の和歌操駅、無残にも解体される2台の機関車を垣間見た、
その当時はもう足回りしか残されていなかった、古い慣習の国鉄の車両解体作業ならば、
機関車のナンバープレート・メーカープレートは、必ず1枚は回収され保管される決まり、
ナンバーを回収作業が済んだのか、202号のボデイはナンバー部分を含み切り刻まれて、
残骸となって付近にばらまかれていた、解体業者の屋号〇〇を認めその日に電話を掛けた、
以前に解体部品を譲っていただいた経緯もあり、今回もダメもとでお願いしてみたのだが、
時すでに遅くナンバーなどは回収済みで鷹取工場へ、明日からは移動が始まるようだった、
備品の回収できないか問い合わせしてみたが、解体作業のみで処分は別の業者との事で、
数週間以内に所有者が移動するので、それ以降なら国鉄所有とは関係なくなるらしい、
この業者の紹介をお願いしたら連絡先を告げられた、〇〇商店は地元の業者で顔みしり・・。
以前の双頭レールでお世話になった業者、事情を説明して部品を譲ってほしい旨を伝える。
解体から数日後に嬉しい連絡があり、〇日搬出が行われるのでその日に来れるかとの事、
会社を休んでヘルメット持参で集積場所に、今から1時間後に作業を始めるからそれまでに、
許可をいただき解体部品にとりついた、銅製部品をまとめた一角にマスコンを発見した、
ご厚意により部品を分けて貰えるのだが、作業の邪魔になったりけがなどしたら大変何ので、
マスコンの天板1、ハンドル2・ノッチ板1を希望、作業開始までに回収することができた。
相手はもっと持ち帰りを予想していたらしい、こちらの作業終了後積み込み作業を見学、
目を凝らしてもナンバーなどは確認できなかった、全てが終わり今日のお礼と代金を聞いた、
お礼のお菓子も部品の代金も受取ってもらえなかった、夕刻すべての部品が運び出された。
帰り際にそこまで機関車が好きなら持って帰りなさいと、薄汚れた軍手1つを手渡された、
廃材の中から見つけておいてくれたのか、先の作業の業者から引継ぎされていた、
中に入っていたのは大きな傷のついた文字、まさにEF15147の切り抜き文字だった。
EF15147は53.10紀勢電化に伴い、大宮機関区から竜華機関区に転属してきた1台。
EF15202はEF15型機関車のラストナンバー、事故車両ということで和歌山操駅に留置、
2台とも異例の現地解体ということで処理された、旧型機であり貨物列車減少の折から・・
修理復活には至らなかったのが残念、検査終了後の147号ではあるが数日で解体された、
国鉄時代は車両というものの価値に気が付かない、商品として考える者が皆無なのか?
国鉄分割民営化を控え余裕がなかったのか、この2台は溶鉱炉で溶かされる運命になる。
1984年3月出張から帰宅途中の和歌操駅、無残にも解体される2台の機関車を垣間見た、
その当時はもう足回りしか残されていなかった、古い慣習の国鉄の車両解体作業ならば、
機関車のナンバープレート・メーカープレートは、必ず1枚は回収され保管される決まり、
ナンバーを回収作業が済んだのか、202号のボデイはナンバー部分を含み切り刻まれて、
残骸となって付近にばらまかれていた、解体業者の屋号〇〇を認めその日に電話を掛けた、
以前に解体部品を譲っていただいた経緯もあり、今回もダメもとでお願いしてみたのだが、
時すでに遅くナンバーなどは回収済みで鷹取工場へ、明日からは移動が始まるようだった、
備品の回収できないか問い合わせしてみたが、解体作業のみで処分は別の業者との事で、
数週間以内に所有者が移動するので、それ以降なら国鉄所有とは関係なくなるらしい、
この業者の紹介をお願いしたら連絡先を告げられた、〇〇商店は地元の業者で顔みしり・・。
以前の双頭レールでお世話になった業者、事情を説明して部品を譲ってほしい旨を伝える。
解体から数日後に嬉しい連絡があり、〇日搬出が行われるのでその日に来れるかとの事、
会社を休んでヘルメット持参で集積場所に、今から1時間後に作業を始めるからそれまでに、
許可をいただき解体部品にとりついた、銅製部品をまとめた一角にマスコンを発見した、
ご厚意により部品を分けて貰えるのだが、作業の邪魔になったりけがなどしたら大変何ので、
マスコンの天板1、ハンドル2・ノッチ板1を希望、作業開始までに回収することができた。
相手はもっと持ち帰りを予想していたらしい、こちらの作業終了後積み込み作業を見学、
目を凝らしてもナンバーなどは確認できなかった、全てが終わり今日のお礼と代金を聞いた、
お礼のお菓子も部品の代金も受取ってもらえなかった、夕刻すべての部品が運び出された。
帰り際にそこまで機関車が好きなら持って帰りなさいと、薄汚れた軍手1つを手渡された、
廃材の中から見つけておいてくれたのか、先の作業の業者から引継ぎされていた、
中に入っていたのは大きな傷のついた文字、まさにEF15147の切り抜き文字だった。
1993年7月知床での登山連盟の大会前に、釧路川をソロで楽しんできた・・・・
摩周の町中を過ぎると釧路川は静かになる、時折小さな瀬がある程度になる、
ただしその小さな瀬が曲者で水深が浅く、船底が川底の岩を触る場面が増える、
ルートを確認しながらの川下りとなる、前方に銀色のサイロが見えてきたら要注意、
数百メートル続く南弟子屈の瀬が近い、水路が数本に分かれて岩をかむ瀬が続く、
慎重に下見を行い右ルートを選択したが、水深が浅く船体に傷がつきそうな箇所が多い
落ち込みこそないが要注意の場所、数十メートル下り危険と判断してポテージ決定、
船を曳きながら瀬をやり過ごすこと数回、先にVTR撮影したカヌーが追い越していった、
案の定中央の水路を行ったのだが、出口付近がのこぎりのような瀬になりあえなく沈・・・
つまり船が水中の岩に引っ掛かりバランスを崩した、船に水が入り船体が圧壊して沈没、
本人は茫然と沈みゆく船を傍観していた、私も現場に到着後船の回収を手伝事になる、
水圧でメインフレームが2か所で折れており、後の川下りは不可能に近いと判断できた、
ここで川下りを中止して国道に出て車を拾うらしい、これも運命・・・いや判断ミスだ!
私は船を曳いたので無事にこの瀬を通過できた、下見すれば危険と判断できる場所。
南弟子屈の瀬を過ぎると数か所の浅瀬があり、事前に下見をしながら注意して下る、
川幅が広くなり標茶の町が見えてきた、開運橋の下流にキャンプ適地を見つけ上陸、
少し早いがテントの設営をして町中のモール温泉入浴、夕食の食材を購入して食事、
明るいが20:00快い筋肉疲れの中爆睡、しかし無情にも4:00には明るくなるんだ。
釧路川を下るコースでこの区間は特殊だ、ショートカット工事の看板を過ぎると町中へ、
現在の商用川下りではこの区間は下らないで、標茶までスキップしているようだ・・・。
摩周の町中の区間には落差1~3mの瀬が4か所、最後の鐺別川の瀬が一番大きい、
この付近の釧路川は川幅があるが川岸は溝状で、途中で上陸できないし川岸もない、
所々に金ぴかの手すり付きの階段があるだけで、流れが速くあーという間に進んでいく。
小さな直線の瀬が2か所ほどあり中央を進む、左手に観覧車が見えたら朝日の瀬・・・
落差2mの直線のすなおな瀬だが、中央を突破でスプレースカートを越える波をかぶる。
休む間もなく鐺別川との合流の瀬が続く、こちらは川の合流点にあり複雑な流れがある、
落差約3m・・・バック漕ぎでテトラポッドを回避、右手から瀬に入り中央を漕ぎ抜ける、
川底はV字型で人工的に作られた瀬で水深があり、障害物がなく安全な瀬だったが
水は頭の上を超える1mの波高で勢いがあり、スプレースカートから船の中に侵入した、
後から瀬に侵入した方をVTRで撮影、釧路川らしからぬ急流の絵の撮影ができた。
この区間を抜けるとまた平穏を取り戻すが、ここからは小さな瀬が多くなり要注意、
ポリ艇なら問題ないが私の船は、木とスキン(布)で出来ているために傷つきやすいからだ。
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