冷水浦~加茂郷間の海沿いの線路は、崖のような場所に線路が引かれた、
切通とトンネル盛り土で線路が構成されていて、上下線が離れて施設されていた。
途中の岬に南和歌浦園というドライブインがあり、線路はこの下をトンネルで抜けた、
ここに夏場限定で海の近くにプールが開設されたり、ビアホールなども営業していた、
ここの敷地内から崖の中腹を行く線路が望める、昼食+で屋上からの撮影も挑戦した。
👇海に降りる道は線路を横断する 冷水浦~加茂郷 128レ EF58
👇南和歌浦園跡と国道を望む 加茂郷~冷水浦間 臨客9106レ EF60
👇和歌浦(黒江湾)を望む 冷水浦~加茂郷 126レ EF60
👇冷水浦~加茂郷 南和歌浦園跡地から 126レ EF58 1984.4.11
👇加茂郷~冷水浦間 南和歌浦園屋上から 石油専貨5371レ 1986.5
👇加茂郷~冷水浦間 臨客9125レ(右下は南和歌浦園のプール跡)
※南和歌浦園は廃業してしまい解体された、上の撮影場所での撮影ができない。
2020年11月
紀三井寺~黒江間の直線区間、黒江側にあるR300?の曲線は上下線分離で、
カーブの外側で上り列車の撮影に対して、架線中の間隔が良く撮影の適地だった、
外側には遮るものもなく足場もあり、顔3胴7での撮影ができ電化前はいい場所。
👇客124レ EF58+DF50+旧客 電化前の電気機関車訓練運転指定の列車

👇貨1392レ EF15+DF50+FC+DF50 同じく訓練指定列車(後ろは391レ)?

電化後には曲線緩和と上下線間の狭差工事、内側への住宅地の建設も始まり、
暗渠の位置からの撮影はできなくなり、旧線路跡からの撮影で何とか収められたが、
近年は家や工場が建込鉄道敷地内と言う事と、元より上り列車専用であるために、
撮影地には向かない場所となり足が遠のいた。
👇126レ EF58+12系PC 付替え後この頃は付近に民家はない。 1985.10

👇臨客9106レ EF60+ユーロライナー(JR東海)

線路内側にかさ上げの建売住宅ができ、今までは線路を見上げる位置からだったが、
この撮影場所は線路と同程度の高さで、高い目線からの撮影ができるようになった。

カーブの外側で上り列車の撮影に対して、架線中の間隔が良く撮影の適地だった、
外側には遮るものもなく足場もあり、顔3胴7での撮影ができ電化前はいい場所。
👇客124レ EF58+DF50+旧客 電化前の電気機関車訓練運転指定の列車

👇貨1392レ EF15+DF50+FC+DF50 同じく訓練指定列車(後ろは391レ)?

電化後には曲線緩和と上下線間の狭差工事、内側への住宅地の建設も始まり、
暗渠の位置からの撮影はできなくなり、旧線路跡からの撮影で何とか収められたが、
近年は家や工場が建込鉄道敷地内と言う事と、元より上り列車専用であるために、
撮影地には向かない場所となり足が遠のいた。
👇126レ EF58+12系PC 付替え後この頃は付近に民家はない。 1985.10

👇臨客9106レ EF60+ユーロライナー(JR東海)

線路内側にかさ上げの建売住宅ができ、今までは線路を見上げる位置からだったが、
この撮影場所は線路と同程度の高さで、高い目線からの撮影ができるようになった。

昭和47年11月紀伊田辺機関区にて用途廃止、運転走行距離1,404,453.2km。
翌年和歌山県海南市「みなと公園」に保存展示、ところが管理団体の海南市は怠慢で、
保存後の維持管理はずさんな状態、部品盗難を口実にペンキの塗り替えも渋る始末・・。
無茶苦茶な用地転用でみなと公園は廃止、その跡地に警察署と消防署を建設する暴挙?
なぜか津波被害を考慮して市役所は高台へ移動、救急の要は津波被害の中心地へ建設、
野上電鉄23号も市が保存すると明言、他の引き合いがあったにもかかわらず中止で解体、
行き場所を失ったD51930は、昭南跡地で破れたブルーシートに包まれ5年放置されていた。
誰もが昨今の事情から解体と思われたとき、岩出市が前管理者とJR西日本から譲渡、
岩出市・根来地区の再開発に合わせて、私有地の「根来SL公園」として整備された地に移動、
国鉄・JRのOBと協力者により、海南展示中に紛失(盗難)に合った部品も復元されている。
以前の海南市での惨状を知っている者にとって、今の状態を誰が予測できたであろうか、
何もしていない私が言うのもなんであるが、本当に「ありがとう」との言葉では言い表せない、
昨今各地で保存されたSLおよび車両が、経年劣化や保存状況の悪化にて保存を継続できず、
解体に至る車体の話題が多く聞かれる中、D51930は幸運な蒸気機関車であると実感した。
👇公式側(運転士側) 窓ガラスも復活


👇非公式側(助手側) 汽笛や小物類(ハンドル)もすべてある。


👇前面 煙室ハンドルも復活、前部標識灯はなくなったまま

👇炭水車側 (海南で失われたナンバー・灯具類も復元されている)

👇ロッド類 塗装でごまかしていません磨き出しです(表面オイルで保護)

👇運転台 各バルブやハンドル(加減ハンドル・逆転器)もそろっている

上の写真を見ていただいて分かるように、車両に対する柵が設置されていません、
また雨よけの上屋が大きく柱の間隔が広く、全景の撮影にも支障しないのが嬉しい。
休日は管理者が居るそうですが、平日は許可が必要なので岩出市のHP参照必要、
ナンバープレートは海南市が手放さないのか、4枚とも複製品が付けられています。
翌年和歌山県海南市「みなと公園」に保存展示、ところが管理団体の海南市は怠慢で、
保存後の維持管理はずさんな状態、部品盗難を口実にペンキの塗り替えも渋る始末・・。
無茶苦茶な用地転用でみなと公園は廃止、その跡地に警察署と消防署を建設する暴挙?
なぜか津波被害を考慮して市役所は高台へ移動、救急の要は津波被害の中心地へ建設、
野上電鉄23号も市が保存すると明言、他の引き合いがあったにもかかわらず中止で解体、
行き場所を失ったD51930は、昭南跡地で破れたブルーシートに包まれ5年放置されていた。
誰もが昨今の事情から解体と思われたとき、岩出市が前管理者とJR西日本から譲渡、
岩出市・根来地区の再開発に合わせて、私有地の「根来SL公園」として整備された地に移動、
国鉄・JRのOBと協力者により、海南展示中に紛失(盗難)に合った部品も復元されている。
以前の海南市での惨状を知っている者にとって、今の状態を誰が予測できたであろうか、
何もしていない私が言うのもなんであるが、本当に「ありがとう」との言葉では言い表せない、
昨今各地で保存されたSLおよび車両が、経年劣化や保存状況の悪化にて保存を継続できず、
解体に至る車体の話題が多く聞かれる中、D51930は幸運な蒸気機関車であると実感した。
👇公式側(運転士側) 窓ガラスも復活


👇非公式側(助手側) 汽笛や小物類(ハンドル)もすべてある。


👇前面 煙室ハンドルも復活、前部標識灯はなくなったまま

👇炭水車側 (海南で失われたナンバー・灯具類も復元されている)

👇ロッド類 塗装でごまかしていません磨き出しです(表面オイルで保護)

👇運転台 各バルブやハンドル(加減ハンドル・逆転器)もそろっている

上の写真を見ていただいて分かるように、車両に対する柵が設置されていません、
また雨よけの上屋が大きく柱の間隔が広く、全景の撮影にも支障しないのが嬉しい。
休日は管理者が居るそうですが、平日は許可が必要なので岩出市のHP参照必要、
ナンバープレートは海南市が手放さないのか、4枚とも複製品が付けられています。
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