2021年05月

野上電鉄 遺品?

深夜まで乱痴気騒ぎと同様の大騒ぎとなった、野鉄廃線1993年3月31日が過ぎた、
普段は冷静な鉄道マニアでない友人(野上在住)は、最終列車に乗るべく日方へ、
すっちたもんだの挙句帰宅を口実に、最終列車の乗車する事が出来たと言った、
お祭りのような騒ぎで登山口到着後は、電車の部品を持ち借る乗客がいたという。
私は静かに祖母の病室で付き添いを行い、八幡馬場発車の警笛を聞いていた、
一つの時代が終わり78年にわたる野上谷における、鉄道の歴史が終わった・・・。
後日祖母は介助不用の状態まで回復して、病院の付き添いは不要となり助かった、
廃線になったが4月1日よりバス部門は、「大十」が引き継ぎオレンジバスとして運転、
何事もなかったように平静さを取り戻していた、ただ電車が走らない鉄路があるだけ。

野鉄関係者から伝言があり、「部品欲しいなら早く来ないと何もなくなっちゃうぞ」と、
意味が分からずその方に問い合わせた、野鉄の部品を譲ってもらえるらしいとのこと、
日方車庫に行くとモハ24・32は阪神に里帰り、モハ31・27は野上町内で保存された、
残りの車両は車庫内でひどいことになっていた、廃止翌日から部品の剝ぎ取りが横行、
犯人は社員を含むマニアらしいと言う事、初めは取り締まりもしたがどうせ解体だからと、
自由に持ち去ることを問わない方針に変更したらしい、主だった部品はすでになくなり、
それを目的のマニアらしい人が徘徊していた、車庫の方に声をかけ車両を見て回る、
主だったものはほとんど取り外されて、車両は荒れ果て一部では解体も始まっていた、
良かったら電車丸ごとでも良いよと冗談が飛ぶが、取り外して持ち帰れる重さの物を選ぶ。
👇廃線後に頂いたもの。(ブレーキハンドルは別会社を仲介して購入した新品物)
 YAMA6273
〇モハ26号の登山口方運転台、マスコン(主幹制御器)天板・・・マスコン自体は無かった
 YAMA6271
〇デ13号日方方 マスコン天板とハンドル(先の方が取り外せず放棄していた)
 YAMA6267
〇デ13号日方方 ブレーキ弁 別物のハンドルを差し込んでみました
 YAMA6269
完全に会社自体がなくなるために、残された車両を転用するという考えはなくすべて解体、
解体までの1週間の間は部品外し放題だったらしく、何も残っていないというう状態であった、
モハ23号は海南市が保存を考えているとの事で、トラロープが張られて保管されてはいたが、
元より野上電鉄に興味が無い海南市は、早々に方針が転換されて重機で解体に至った・・・
まだまだ紹介したい魅力的な野上電鉄ですが、この項については今回で一旦終了です。
 

野上電鉄 生石山・黒沢山

野上電鉄の記事について、最後は本当にひどい状態で週末を迎えましたが、
国と周辺自治体からのからの欠損補助金をもらうまでは健全?な鉄道でした。
自分的に言えば1975年くらいまででしょうか、赤字に悩む地方ローカル私鉄、
その言葉の通りに鉄道部門と、バス部門の調和がとれた状態で運営されていました、
その年に野鉄観光を別会社にしたこと、欠損補助金をもらえるようになり余裕ができ、
会社の無駄使いと無計画が始まり、次に来るであろう補助金の打ち切り対策に、
健全な営業を続ける観光バス部門の分離、株主を守る為の株式比率を変えることで、
親会社と子会社の関係を反転させ、株主への負債を残さぬように画策したのでしょうね。

野上電鉄の車窓風景は幡川を過ぎると、貴志川を渡ると野上谷に入り生石山が見える、
線路の南側には高野山に続く長峰山脈、台形の山頂に大きな松の木が見える黒沢山、
黒沢山は標高509Mで山頂には今は無いが、大きな黒松の木があり線路からも見えた。
その背後には870Mの生石山がなだらかに広がる、山頂付近は高原状でススキヶ原だ、
ススキヶ原の奥に三角点のある生石ヶ峰がある、山頂付近には電波塔群があり印象的、
終点の生石口から徒歩3時間ほどで登れる、写真を確認していたら何枚か写り込んでいた。

👇北山~野上中(水道タンクから) 中央右が黒沢山、左奥に生石ケ峰
 NT0244 北山 モハ24 
👇北山~野上中   中央右が黒沢山、生石山は雲の中
 NT0805 840200 北山~八幡馬場 クハ101+モハ26
👇龍光寺前~下佐々  中央右奥に生石山の電波塔群が見える
 IMG_20200602_0145
👇龍光寺前~下佐々  中央右奥に生石山の電波塔群が見える
  無題
👇下佐々~龍光寺前 右端中央付近に生石山の電波塔群が見える 
       NT0003a 下佐々~ 龍光寺前 モハ24
いつも車窓から見えていたのに、写真のバックに入っているものはすくなかった?

   

 

野上電鉄 そして終末

野上電鉄の終末には立合わないつもりでいた、数日前から夜を徹してマニアが徘徊、
駅周辺や道路でさえ交通渋滞が発生、まともな運行ができない状況?だったらしい。
それまで野上電鉄の興味がなかった住民が、火事場の野次馬のように電車に押寄せ、
最終列車を前に当日の乗車率は、200%を超える列車もあり積み残しが発生したとか、
運悪く数日前に祖母が急病で入院、付き添いが必要で家族で替わり代わりに付き添う。
最終列車を前後には途中駅でも、野鉄の最後を見ようとマニア・住民が押しかけてきた、
付き添っていた病院は八幡馬場に駅に近く、病室にまでも歓声?(罵声)が聞こえてきた。
当日の早朝と午後に数時間だけ嫁さんに代わってもらい、野鉄の最後を写真に収めた・・
その時の状況を以前このブログで紹介したが(下記)、それ以外の写真が数点見つかった。
 http://c58224.livedoor.blog/archives/1834423.html

👇動木~紀伊野上  モハ25+モハ26
 NT0912 940331 動木~紀伊野上 モハ25+26   
👇動木~龍光寺前 モハ31+モハ27
 NT0919  940331 動木~龍光寺前  モハ27+31
👇龍光寺前~下佐々  モハ26+モハ25
 NT0917  940331 龍光寺前~下佐々  モハ25+26
👇北山~野上中 モハ27+モハ31
 NT0924  940331 北山~野上中  モハ27+31
👇北山~野上中 モハ25+モハ26
 NT0922 940331北山~野上中 モハ25+26
👇北山~野上中 モハ27+モハ31
 NT0915  940331 北山~野上中  モハ27+31
👇紀伊坂井~重根(重根変電所前) モハ25+モハ26 
    NT0910 940331 紀伊坂井~重根 モハ25+26  


野上電鉄 恐怖の時代

野上電鉄の廃止が秒読み段階に入ると、各地から鉄道マニアが大挙して訪れた・・
ふつう?の廃止直前の鉄道ならば、こんなにお客さんが増えたのだから、廃線を1月
ほど伸ばすか」と冗談も出てきそうですが、野鉄の対応は正反対の恐怖状態でした。
駅構内でカメラを見せたら「こらー撮影禁止」、ホームの端に立とうものなら短急警笛、
沿線で敷地内に入ったのを認められたら、非常ブレーキで停車「でていけ」と叫ばれた。
日方駅で写真撮影の許可をもらおうとしたら、「ダメ」詰所入り口のカギをかけられた、
車内でカメラを出したら車掌から、こっぴどく注意されるとともに次駅で下車させられた、
いたるところに「写真撮影禁止」「立入禁止」トラロープが張られ戦線恐慌の状態・・・。
👇動木~紀伊野上
 NT0825 840300 紀伊野上~動木 モハ23他 2連
こんな悪条件ですが友人のたっての頼みで、廃線前2月に沿線の撮影地案内しました、
自分はもう写真は充分だったので案内だけ、休日の写真撮影には大変気を使いました、
行き違いが撮りたいと言う事で重根駅へ、もちろん構内は撮影禁止ですから外から、
あまりのマニアの多さにタブレット交換は中止(通票閉塞ならぬ勝手閉塞で運転した)、
カメラを持っていなければ不問なので、ホームで見ていましたがマニアが多く大混雑、
私は早い状況で撮影していて正解、友人は案内した撮影地での撮影に満足でした、
友人からあと数回案内してよと言われたのですが、こんな状況ではと辞退しました。
👇動木~紀伊野上
 NT0829 840300 紀伊野上~動木 デハ11
野鉄社員には昔から親交がある方が居たのですが、近寄らないほうが良いと言われ
できるだけ廃線前は距離を置いていました、鉄道廃止=会社解散と言う異常な状態、
この状態でも電車を運行する社員の方々、その苦労はわかりますがあまりにも対応が、
はた目にも見ても異常で悪すぎました、残念ですがこの状況は廃線まで続きました。



野上電鉄 黄昏・・恐怖

野上電鉄の廃線は以後会社継続も許さない状況で、会社解散と言う結末を迎える。
野上電鉄の利用は子供のころから利用してきた、高校進学で定期乗車になり、
その後も和歌山市内の会社と言う事で、当たり前の交通機関として利用してきた。
廃線を翌年に控えた頃からこれを利用するメディアや、鉄道マニアが増えだして来た、
車両運用の関係で日中1両の運用が多く、始発駅からでも着席できない状況が進み、
廃線に合わせての乗客増によるしわ寄せが、通常利用する旅客の首を絞め始めた。
国鉄からJRになっても連絡口が存在したが、JR側運賃の不正収受が問題となり、
連絡口の取り扱いの適正化が求められたが、野鉄側が示した対策は連絡口の廃止、
一方的な野鉄係員の不在で勝手踏切化、無賃乗車の温床となり連絡通路の廃止?。
👇紀伊野上~動木  この時期は朝のラッシュ時はM車2連
 NT0329 動木~紀伊野上 モハ31+クハ101 2連
廃止を前に野鉄運転士が運転中に、VTRカメラ片手に運転しながら前方映像の撮影、
注意するとなにを取り違えたのか反論する始末で、乗車中は危険を感じることもあった。
踏切・駅構内・車内などでの写真撮影禁止、敷地内への立入禁止などの張り紙が増え、
車両は小さな故障が類発したりと、目に見えて乗車しずらい状況になってきていた・・・・
丁度その時乗車した列車が運悪く人身事故、運転士・車掌はうっぷんを乗客に発散、
事故発生後の警察への通報に15分もかかって、1時間止まっても説明やお断りなし、
運転再開後に停車駅を通過する事態、駅で待っているお客様にも罵声を浴びせた・・・。
👇野上中~北山  昼間はほぼ単行で運転されていた
 NT0319 北山~野上中 モハ23 
👇動木~紀伊野上  車歴の新しいデ10型が大活躍した。
 NT0623 動木~紀伊野上 デハ13
通勤で利用していたがこのままではやばいと思い、この日をもって野鉄電車通勤を中止、
残っていた2ケ月の定期券を払戻したが、この作業の時ももちろんすったもんだで大変。
通勤方法を車通勤に変更して、野上電鉄とはかかわらない方向に方向転換した。
写真については「廃線」の言葉が出た時点で、きっぱり撮影を打ち止めしていたので、
最後の1年間の写真についてはありません、しかしこの後野鉄の暴走は続いたようです。


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