2021年06月

通票4種

今まで収集してきた通票(タブレット)5個、この中で由来が判明しているのは3個?
閉塞器の中には24個が入っているらしいので、割かしメジャーな鉄道部品と言えよう。
 DSCN1348
左上 第四種 (楕円) 関東の私鉄ひたちなか海浜鉄道(旧湊鉄道)で使われた物らしい。
真ん中 第一種(マル) 草軽電機鉄道 嬬恋~小代で使われた物。
左下 第二種(さんかく) 出所不明
右上 第三種(ヨンカク) 出所不明 (伝 和歌山線)
右下 第一種(マル) 出所不明 ジュラルミン製(野上電鉄未開通区間用か?)

草軽電気鉄道の通票

真鍮製の100mmの円盤で厚みは8mm中央に丸穴、外周には段が付いている、、

中央下には14番というナンバーが彫り込まれ、両側には嬬(つま)小(しょう)の堀込、
鉄道線路の単線区間の閉塞で用いられる、第一種通票(タブレット)と呼ばれるもの、
出所のわからない旧タイプの通票とは違い、この通票両側には小と嬬の文字が見える。
2文字から出所を推理するとになる、国鉄線上には連続するこの駅名は存在しない。
 YAMA6292

 YAMA6293

駅名大全で探りを入れると、この通票は長野県の北軽井沢から群馬県の草津温泉を結ぶ、
今はなき草津軽井沢鉄道(草軽)の物、彫り込まれた漢字から小代~嬬恋間が該当する、

19157月に草軽軽便鉄道として開業し、19252月には電化に伴ない草津電気鉄道に、
後に草軽電気鉄道に改称され。浅間山の麓を走る「ナローゲージ」の高原鉄道として知られ、
日本初の総天然色映画(カルメン故郷に帰る)では、同鉄道の電気機関車や客車が登場、

高原野菜の輸送や付近で産出される硫黄輸送、避暑や温泉への観光客の輸送でにぎわうも、
道路事情の改善によるバス輸送に追われ、水害での道床流出などによる復旧が進まず、

1960年に新軽井沢駅~上州三原駅間、1962年に残る上州三原駅~草津温泉駅間が廃止
46年あまりの歴史にピリオドが打たれている。プレスアイゼンバーンなどの資料により確認、
この区間で使用された通票形態と一致することから、小代~嬬恋間の通票と断定できる。
 YAMA6296

この通票を携えたトロッコのような高原列車が、カラマツ林の中を走る姿を見る事は夢の中、
写真集や動画の中で走るジェフリー製の電気機関車、この通票をコレクシヨンに追加した後、
今も駅舎や車両が残る北軽井沢を訪問しようと画策、いまだに訪れることに至っていない。

DD51工臨 紀勢本線 

18日紀勢本線の白浜まで工臨が走った、DD51重連+チキ10両のロングレール輸送、
深夜早朝時間帯の為に取り卸し列車は撮影不可、回送列車は白浜6:00過ぎで明るく、
沿線には多くの鉄道フアンが訪れたようだ、残念ながら私は泊り勤務の為に撮影不可。
少し早い目に起きて駅での撮影に挑戦した、田辺駅を訪れたフアンは居なかったようで、
駅の方はまだ起きていなかったので、乗務員の方に許可を得て撮影する事が出来ました。
👇田辺駅 ロングレール工臨 工9391レ 4:10
 NDF_2514
👇田辺駅 ロングレール工臨 工9391レ 4:20
 NDF_2516
この時期明るくなるのが早いので撮影できた、これ以上感度を上げるとざらつき感があり、
仕上がりを確認しながら低速シャッターで対応、ここまで明るく写せる技術の進歩に感謝。

鉄道部品 野上電鉄の通票?

野上電鉄で使用されたと言われる、1種の通票について空想を交えて考察しました、
鉄道部品と言えども一つ一つに物語があり、それを解明想像するのも楽しみの一つです。

野上電鉄の通票(ダブレット)による閉塞で、なぜかタブレットは各1個と言う変則運用、
閉塞器らしきものはおかれていたが、電気的な閉塞の装置が稼働していたかは不明、
各交換駅ではタブレットの交換だけで済ましていたし、併合時はダブル使用だった・・
日方~重根(四角■)・重根~紀伊野上(六角)・紀伊野上~登山口(三角▲)が使われた。
タブレットの詳しい使用方法については、ウィキペディアなどで詳しく説明されています、
私の手元にあるのは親交のあった、元野上電鉄社員方からの頂いた1種の通票です。
YAMA6289

YAMA6290
国鉄などで使用されていたサイズと同じで、材質はジユラルミン製と思われる物です、
ところが野上電鉄にはこの型の通票の使用実績は無く、実際には見たこともありません、
当時いただいた時には「野上電鉄で使われたものだよ」と言われていただきました・・・・
その方は十数年前に他界してしまい、野鉄の混乱の末期すら見る事が出来ませんでした、
ここでこの通票の由緒が途切れてしまいますが、私にはもう一つの心当たりが有ります、
それは野上電鉄の未開通区間として記録が残る、登山口~神野市場間の区間です、
私の祖父は当時その区間の工事に雇われて、駅舎の工事などを行ったと聞いていました、
その関係で和歌山市内から旧野上町に転居、そのおかげで和歌山大空襲を逃れたとか?
未開通区間に関しては鉄橋・路盤・駅舎などが、一部完成し橋梁・線路も引かれていたとか、
資金不足と戦争の激化により、鉄材の供給が進み線路・橋梁は供出されてしまったとか。
この事を考慮してつなぎ合わせたら、もしかしたらこの区間で使われる予定の通票なのでは?
妄想は膨らみ事実と繋がり夢は広がります、部品は集めるだけでなくこんな楽しみも有かな、
実際の資料等は残っていないので「夢」ではありますが、部品は一つ一つ物語を持っている、
このような物語を繋ぐためにもこれからも、想像力を持ち鉄道部品と遊んでいきます。

さらばDD51 紀勢本線⑦

DD51のこれからはどうなるのであろう?、確かに高出力のDF200が存在する、
機関車の置き換えが進むのか、今現在客車自体が少なくなり機関車の需要も減り、
電化区間では電車が多用される、非電化区間ではハイブリットの気動車に変わるのか、
どちらの道を進むのか大変興味がある、非電化区間で活躍するDLの今後が不透明だ。
コロナ以降団臨の運転は紀勢本線では取止め、工臨にのみDD51が使用されている。
新たなDD20と言う機関車も選択肢としてあるが、DE10クラスの出力では代りに成らない。
早朝深夜に走行する工臨や甲種回送は縁?がなく、記録写真に関しては皆無の状態・・
紀勢本線ではトワイライトEXP以前以後を含め、多くの団臨がDD51を使用して運転された、
👇黒江~紀三井寺 サマーイン白浜  「あすか」→「なにわ」→221系へと引き継がれた
 L295
👇岩代~南部 サロンカー「紀伊」  2014.12.6
 H417
👇紀伊田辺    サロンカー「紀州」  2018.10.13
 K575
👇冷水浦  紀勢本線60周年記念号  2019.7.15
 L413
👇藤並~紀伊宮原  水害救援列車 DD51+381系  2014.6.27
 H121
とうとう秒読み状態となったDD51の進退問題、JR東日本に2台JR西日本に8台の全10台、
最後に残るのはJR西日本の8台となりそうな雰囲気、葬式鉄が動き出しそうな気配だ・・・
この項終わり!


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