2021年06月
真鍮製の100mmの円盤で厚みは8mm中央に丸穴、外周には段が付いている、、
中央下には14番というナンバーが彫り込まれ、両側には嬬(つま)小(しょう)の堀込、
鉄道線路の単線区間の閉塞で用いられる、第一種通票(タブレット)と呼ばれるもの、
出所のわからない旧タイプの通票とは違い、この通票両側には小と嬬の文字が見える。
2文字から出所を推理するとになる、国鉄線上には連続するこの駅名は存在しない。
駅名大全で探りを入れると、この通票は長野県の北軽井沢から群馬県の草津温泉を結ぶ、
今はなき草津軽井沢鉄道(草軽)の物、彫り込まれた漢字から小代~嬬恋間が該当する、
1915年7月に草軽軽便鉄道として開業し、1925年2月には電化に伴ない草津電気鉄道に、
後に草軽電気鉄道に改称され。浅間山の麓を走る「ナローゲージ」の高原鉄道として知られ、
日本初の総天然色映画(カルメン故郷に帰る)では、同鉄道の電気機関車や客車が登場、
高原野菜の輸送や付近で産出される硫黄輸送、避暑や温泉への観光客の輸送でにぎわうも、
道路事情の改善によるバス輸送に追われ、水害での道床流出などによる復旧が進まず、
1960年に新軽井沢駅~上州三原駅間、1962年に残る上州三原駅~草津温泉駅間が廃止
46年あまりの歴史にピリオドが打たれている。プレスアイゼンバーンなどの資料により確認、
この区間で使用された通票形態と一致することから、小代~嬬恋間の通票と断定できる。
この通票を携えたトロッコのような高原列車が、カラマツ林の中を走る姿を見る事は夢の中、
写真集や動画の中で走るジェフリー製の電気機関車、この通票をコレクシヨンに追加した後、
今も駅舎や車両が残る北軽井沢を訪問しようと画策、いまだに訪れることに至っていない。
深夜早朝時間帯の為に取り卸し列車は撮影不可、回送列車は白浜6:00過ぎで明るく、
沿線には多くの鉄道フアンが訪れたようだ、残念ながら私は泊り勤務の為に撮影不可。
少し早い目に起きて駅での撮影に挑戦した、田辺駅を訪れたフアンは居なかったようで、
駅の方はまだ起きていなかったので、乗務員の方に許可を得て撮影する事が出来ました。
👇田辺駅 ロングレール工臨 工9391レ 4:10
👇田辺駅 ロングレール工臨 工9391レ 4:20
この時期明るくなるのが早いので撮影できた、これ以上感度を上げるとざらつき感があり、
仕上がりを確認しながら低速シャッターで対応、ここまで明るく写せる技術の進歩に感謝。
鉄道部品と言えども一つ一つに物語があり、それを解明想像するのも楽しみの一つです。
野上電鉄の通票(ダブレット)による閉塞で、なぜかタブレットは各1個と言う変則運用、
閉塞器らしきものはおかれていたが、電気的な閉塞の装置が稼働していたかは不明、
各交換駅ではタブレットの交換だけで済ましていたし、併合時はダブル使用だった・・
日方~重根(四角■)・重根~紀伊野上(六角)・紀伊野上~登山口(三角▲)が使われた。
タブレットの詳しい使用方法については、ウィキペディアなどで詳しく説明されています、
私の手元にあるのは親交のあった、元野上電鉄社員方からの頂いた1種の通票です。
国鉄などで使用されていたサイズと同じで、材質はジユラルミン製と思われる物です、
ところが野上電鉄にはこの型の通票の使用実績は無く、実際には見たこともありません、
当時いただいた時には「野上電鉄で使われたものだよ」と言われていただきました・・・・
その方は十数年前に他界してしまい、野鉄の混乱の末期すら見る事が出来ませんでした、
ここでこの通票の由緒が途切れてしまいますが、私にはもう一つの心当たりが有ります、
それは野上電鉄の未開通区間として記録が残る、登山口~神野市場間の区間です、
私の祖父は当時その区間の工事に雇われて、駅舎の工事などを行ったと聞いていました、
その関係で和歌山市内から旧野上町に転居、そのおかげで和歌山大空襲を逃れたとか?
未開通区間に関しては鉄橋・路盤・駅舎などが、一部完成し橋梁・線路も引かれていたとか、
資金不足と戦争の激化により、鉄材の供給が進み線路・橋梁は供出されてしまったとか。
この事を考慮してつなぎ合わせたら、もしかしたらこの区間で使われる予定の通票なのでは?
妄想は膨らみ事実と繋がり夢は広がります、部品は集めるだけでなくこんな楽しみも有かな、
実際の資料等は残っていないので「夢」ではありますが、部品は一つ一つ物語を持っている、
このような物語を繋ぐためにもこれからも、想像力を持ち鉄道部品と遊んでいきます。
機関車の置き換えが進むのか、今現在客車自体が少なくなり機関車の需要も減り、
電化区間では電車が多用される、非電化区間ではハイブリットの気動車に変わるのか、
どちらの道を進むのか大変興味がある、非電化区間で活躍するDLの今後が不透明だ。
コロナ以降団臨の運転は紀勢本線では取止め、工臨にのみDD51が使用されている。
新たなDD20と言う機関車も選択肢としてあるが、DE10クラスの出力では代りに成らない。
早朝深夜に走行する工臨や甲種回送は縁?がなく、記録写真に関しては皆無の状態・・
紀勢本線ではトワイライトEXP以前以後を含め、多くの団臨がDD51を使用して運転された、
👇黒江~紀三井寺 サマーイン白浜 「あすか」→「なにわ」→221系へと引き継がれた
👇岩代~南部 サロンカー「紀伊」 2014.12.6
👇紀伊田辺 サロンカー「紀州」 2018.10.13
👇冷水浦 紀勢本線60周年記念号 2019.7.15
👇藤並~紀伊宮原 水害救援列車 DD51+381系 2014.6.27
とうとう秒読み状態となったDD51の進退問題、JR東日本に2台JR西日本に8台の全10台、
最後に残るのはJR西日本の8台となりそうな雰囲気、葬式鉄が動き出しそうな気配だ・・・
この項終わり!
c58224
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