四国DF50運用の終末
昭和56年10月に四国のDF50が旅客運用から離脱、貨物運用についても激減した、
貨物はDE10との昆運用になつてしまい、DF50がいつ入るのかも不明瞭となっつた。
土讃線にてDF50によるさよなら運転として、「秘境号」「土佐路号」の2本が予定され、
昭和58年8月20日高松~大歩危間の、仕事の都合で「秘境号」を撮影対象に選んだ。
宇高連絡船で高松につくと構内はDE10ばかり、高松運転所内には廃車体も見える、
今回はさらりと琴平~塩入間、大歩危構内、佃~箸蔵間に撮影は限定している。
多度津の構内にはDF50が停車していた、急遽下車していつもの跨線橋から撮影、
  1983082111多度津271レ
琴平では塩入方面に歩き琴平山が見える場所へ、先客の中に割り込ませてもらう、
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1本前の貨物列車はまだDF50が担当、後を追うように現れた「秘境号」は重連運転、
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DF501とDF5065でしっかり磨かれた車体が、夏の陽に焙られて陽炎に包まれた。
通過後にゆっくり大歩危に移動、構内立入撮影可能との事で思う存分写しまくった。
  1983082102大歩危9202レ
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午後の下りは佃~箸蔵間と決めていたが、列車通過1時間前からものすごい雷雨、
箸蔵駅に戻る事さえできないくらいで、あたりは暗くなり雷鳴と雨で阿鼻叫喚の世界、
農家の方の作業小屋に避難させていただき、刻々と近づく通過時刻にやきもきした、
雨も小降りになり微かな日が差し始めた頃、「秘境号」は吉野川橋梁を渡つて行った。
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これが私にとっての最後の生きているDF50、営業線上での別れとなってしまった。
DF50は9月25日「土佐路号」の運転、貨物運用も秋ダイヤ改正を待たずに終了した
紀勢本線~日豊線~土讃・予讃線と続いた、DF50を追いかける旅も終わった・・・。


※ウィキぺデでDF50の終末が、昭和60年(1985)となっている、車体の廃車時期の誤記と思われるがいかがなものでしょうか?