四国にDF50を追いかけていた当時、DF50に交じりDE10牽引の列車も多く走り、
DE10は四国全土を席巻していた、土讃・予讃線の一部でDF50が使われていた、
DE10のナンバー1も松山にあり、この状態だと説明するほうが正確であろう、
末期には客車列車のDE10への置換が始まり、四国の顔となりつつあった。
👇多ノ郷 土讃線を窪川まで通す貨物列車はDE10の重連であった。

👇国分

👇多度津 予讃線貨物列車 本務はDF50 後補機?よりぶら下がり。

👇海岸寺

👇琴平~塩入

👇 新改 DE10客車列車の行き違い

DF50がDE10に置き換えられた後も、斗賀野~多ノ郷の石灰岩輸送は続いていた、
機関車が変わっただけで客車列車も残っていたが、写欲が働かず訪問は滞り・・・
DE10も知らぬ間にDC化されてしまい現在に至っている。
DE10は四国全土を席巻していた、土讃・予讃線の一部でDF50が使われていた、
DE10のナンバー1も松山にあり、この状態だと説明するほうが正確であろう、
末期には客車列車のDE10への置換が始まり、四国の顔となりつつあった。
👇多ノ郷 土讃線を窪川まで通す貨物列車はDE10の重連であった。

👇国分

👇多度津 予讃線貨物列車 本務はDF50 後補機?よりぶら下がり。

👇海岸寺

👇琴平~塩入

👇 新改 DE10客車列車の行き違い

DF50がDE10に置き換えられた後も、斗賀野~多ノ郷の石灰岩輸送は続いていた、
機関車が変わっただけで客車列車も残っていたが、写欲が働かず訪問は滞り・・・
DE10も知らぬ間にDC化されてしまい現在に至っている。