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381系くろしお ④

前回の電気機関車の項と同じ場所だが、地上に在った頃の海南駅の桜の季節から、
海南を過ぎると今まで見えなかった海が、コンビナートや火力発電所と見え始める、
多くく湾曲した日方湾(黒牛潟)は遠浅で、埋め立てに向き早くから埋め立てられて、
この付近は石油コンビナート地帯となっている、近年は人工島も作られている。
特に冷水浦を過ぎると海岸に山が迫り、線路は崖の中腹に上下線別で付けられた、
和歌浦湾から遠くには淡路島や四国も望める、最も見晴らしに良い区間でもある、
海を入れて写真を撮るために崖にへばりつき、岬の先端を藪漕ぎし撮影地を探した。
 👇 海南駅(地上駅の頃)       1995.4
 KT381046 海南
👇 海南駅(地上駅の頃)   1993.7  
 KT381043  海南
👇冷水浦~加茂郷     1983.7  人工島ができる前
 KT381057 冷水浦~加茂郷
👇冷水浦~加茂郷     1983.7   国道より      
 KT381055 加茂郷~冷水浦
👇冷水浦~加茂郷     1987.11  南和歌浦園跡より
 KT381051   冷水浦~海南
👇冷水浦~加茂郷     1984.5    南和歌浦園跡より
 KT381060a  940500加茂郷~冷水浦




 

381系くろしお ③

紀勢本線の電気機関車でも紹介した、紀三井寺~黒江間は自宅から15分で行ける、
最も多く足を運んだというか楽をしたというか?、お手軽な撮影場所でもあった・・・・
1976年頃にはこの直線区間の周りに民家jはなく、あたりは一面の田んぼが広がる、
春のレンゲソウ、夏は稲の生育、秋の稲穂、冬の霜や雪などの季節の表現などに、
この区間は大変魅力的な場所でもあった、381系の9両編成がすっぽり収まる位置、
後追いでも撮影することも可能であったが、今は線路脇まで住宅が立ち田んぼも休耕田、
雑草の生い茂る荒れ地となってしまっているの、自然と足が遠のき最近はご無沙汰である。

紀三井寺~黒江間の春夏秋冬

👇黒江~紀三井寺    3M  1984.4.28 
 
 KT381008 840428 黒江~紀三井寺 10M
👇黒江~紀三井寺   1M  1984.4.28
 KT381006 840428 紀三井寺~黒江 6006M
👇黒江~紀三井寺  14M後追い   1987.4
 KT381002  870400  黒江~紀三井寺
👇黒江~紀三井寺   11M ?   1989.6
 KT381021 890600 黒江~紀三井寺
👇黒江~紀三井寺     4M後追い?  1989.10
 KT381029 891000 紀三井寺~黒江
👇黒江~紀三井寺  1M 1983.12.26
 KT381039 831226紀三井寺~黒江 1M

 



381系くろしお ②

阪和線での鉄道写真を撮る場所として、山中渓駅周辺の桜の季節が一番、
一時期荒れ果てて桜の木々も減ったが、駅の北側に新たな植林がなされている。
桜の花の見ごろの時期は一週間ぐらいなので、休みと天候が良ければ最高、
機関車と違いL特急は運転本数も多く、後ろから狙えるというのも幸いしている、
弁当片手に和歌山方の土手に陣取って、1985年頃はまだゆっくり写真が撮れた。
👇山中渓和歌山方  3M  1985.4
  KT381361   山中渓
👇山中渓和歌山方  3M  1985.4  同じ場所から後追い
  KT381350   山中渓
👇山中渓和歌山方  5M  1985.4
  KT381352   山中渓
👇山中渓駅  6M  1984.4 
  KT381367   山中渓
👇山中渓駅  5M  1984.4 
  KT381364   山中渓
👇山中渓駅北側   3M  1985.4?  
  KT381375      山中渓
この桜の季節にありながら鉄道マニアが、一人も視野にいないし写ってもいない、
当時は鉄道写真の被写体の選択肢が多く、381系の「くろしお」など目もくれない?、
ある意味で本当にゆっくり写真を撮れる時代で、場所取りや罵声も聞かれなかった、
廃線や廃車と聞いて騒ぎ出す輩、俗に言う「死に鉄」もトレンドになる前だった。




  
  

有田鉄道線 ⑥

1975年7月に有田鉄道に入線したキハ58、入線後も自社調整に戸惑っていた、
鉄道会社に使用開始を訪ねるも未定との事、地元の友人に動向の確認を依頼、
10月に入り試運転が行われたようだが、重大な問題が発生していたような噂も。
噂の真偽は重量の問題と判明した、ローカル私鉄にありがちな脆弱な路盤と線路、
きは07の整備重量27トンに対して、キハ58では38トンとなり営業運転では3連結、
試運転にて御霊~下津野間の橋梁と、全線にわたり道床の沈みこみが発生した、
それに対してバラスト追加の道床の強化と、橋梁の土台の補強が行われるようで、
それが終了する時期に合わせて、再度の試運転の後に営業に入るとの事だった。
翌年友人から「走り出したよ」との連絡を受け、後日友人を伴いカメラハイクに訪れた。
👇藤並駅 湯浅から到着した金屋口行 キハ58003 単行運転  1976.6
 IMG_20200601_0095
👇金屋口~御霊  藤並行  キハ58003   1976.6
      IMG_20200601_0084
👇御霊~下津野    補強された橋を渡る夕刻の3連運転  1976.11
 IMG_20200601_0086
👇田殿口  湯浅行     1976.11 
 IMG_20200601_0103
👇田殿口~藤並  1976.11
 IMG_20200601_0073
この時点ではキハ58でありながら、1エンジンカットでの営業運転を行うとともに、
雨天で道床が緩むと予想されたときは、キハ07の再登場となる事もあったとか。
その後重量軽減の為にエンジンの取り外し、加えて関連機器を取り外し重量軽減、
再整備の上営業運転に至った、キハ07はその間に復活したらしいが撮り逃がした。




有田鉄道線 ⑤

昭和50年(1975)7月、3両の急行型DCが甲種車両輸送で藤並駅まで運転された、
以前より噂されていた有田鉄道のキハ07に変わる、新車両?らしいと言う事がわかる。
藤並駅に行ってみっるとキハ07は活動中であった、金屋口の状況は依然と変わつて、
構内配線と車両の配置が少し換わり、国鉄型の急行型気動車が3両停車していた。
許可を得て構内に入れてもらっうことができた、キハ58型気動車の私鉄増備車だった、
元富士急が中央線乗り入れの為に自社発注した車、ピカピカの新車とはいかないが、
営業に投入されればキハ07と比べればq、格段のサービスの向上になると期待された。
 IMG_20200602_0117
 19750428_0053
 19750428_0056
 19750428_0050
        19750428_0051
キハ58-003は両運転台になっている、両運転台になっている急行気動車だつた、
1両でも運転できると言う事が強みで、有田鉄道が購入したのであろうか?・・・
ただ平坦線の同鉄道に協力型のキハ58、重量は今のキハ07の1.5倍となるはず、
これから運転開始まで車両の改造が行われると、車両検修の方が言っていた、
キハ07の命運もあとわずかであろうことが想像できた・・・・・

    



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