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有田鉄道 ⑦

有田鉄道⑦追加します・・・旅行写真のスキャン中にネガを発見しました
1978(昭和53年)年7月紀勢(西線)電化前、EF15+DF50の試運転列車撮影時、
紀伊宮原~藤並間の有田川橋梁の俯瞰を撮影、同地からも有田鉄道の線路が見える、
この当時はキハ58が主力になっており、キハ07は主に金屋の車庫で予備車で留置、
ほとんど動くことは無かったが状態は良く、いまにも動き出しそうな状態であった。
貨物営業も細々と続けられており、この日も数両の貨車をけん引したDLが待機中、
当時はまだキハ58(2エンジンの内の1台カット中)状態で運転されていたのだが、
軟弱な道床がキハ58の重量に耐えられなくなり沈泥、道床補強ができない状況になり、
この後1エンジンの取り卸しを行い、形式はキハ58だが実情はキハ28で運転された。
👇田殿口~藤並  キハ58 3連 国道上のみかん畑から撮影
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👇田殿口 キハ58 単機 田殿口構内はみかんの積み込み施設があり構内は広い。
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👇御霊~下津野 キハ58 3連
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👇金屋口  休車中のキハ07 2連
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👇金屋口 車庫から直で発車する貨物列車
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風前の灯 DD51

DD51が国鉄線上に登場したのは1962年~で、今から半世紀以上も前のことになる、
当時の国鉄では動力近代化を推進、煤煙やエネルギー効率の悪い蒸気機関車を廃止し、
電化の推進により動力に電気を用いた電気機関車や、電車列車を推進するとともに、
非電化区間に関しては燃料を用いたディーゼル機関車や、ディーゼルカーを投入した。
蒸気機関車に代わるディーゼル機関車の開発、国産化がすすめられてDD51形が誕生、
D51型の蒸気機関車よりは非力ながら、各方面で蒸気機関車を駆逐し活躍範囲を広げた。
時は流れて電化と強力なDL(DF200)の登場で、徐々に活動範囲が狭められてきた、
津々浦々で活躍していたDD51ではあるが、昨年JR貨物の定期列車の運用がなくなり、
臨時列車や工事列車用に運用が残るものの、JR東日本と西日本に数台が残る状態になる。
SL廃止に追いやった当時の憎まれ者が、今は大人気でSL並みに追い回されている状態、
代替えのDLにめぼしい物が無い状態なので、JR西日本ではまだまだ運用されそうだが、
工臨の運転回数も少なく貴重な存在になった、「撮り鉄」の餌食にされないか心配だ。
👇和歌山線で運転されたDD51後後補機付きの回送列車 船戸~岩出 1989.7
 19890700_0019 船戸~岩出
👇打田~紀伊長田
 19890700_0020 打田~紀伊長田
👇西笠田~笠田
 19890700_0023 西笠田~妙寺
当時はDD51の全盛時代?であり、撮影地はガラガラ状態で出会う撮影者は知人ばかり、
今ならこの撮影地は下のような人の波ができるでしょうね。
 DCIM0006


 
  

急行「きたぐに」

大阪~青森間を結んでいた急行列車、初めて乗車したのは12系の客車急行時代、
周遊券で乗れる急行列車と言う事で、大阪~新潟間の自由席に乗車している。
社会人となって趣味の山登りで北アルプスを目指し、急行「立山」の夜行を利用、
立山廃止後はもっぱら「きたぐに」の愛好家となる、北海道からの帰りには一度、
青森~新潟間12系座席車~新潟~大阪間は10系寝台車に全区間通しで乗車もした。
車両は12系から14系に代わり運転を続けたが、最後は583系大阪~新潟間になる、
きたぐにを狙っての撮影は無いが、多くの場所でフイルムに残していた。
👇青森駅 502レ 1980.9 12系の6両で運転 秋田まではED75が牽引した。 
 IMG_20201220_0114
👇山崎~高槻  502レ 1981.8 12系+10系 10系寝台が美しい
 TY304 高槻~山崎 きたぐに
 TY306 高槻~山崎 きたぐに
👇新大阪~大阪(淀川橋梁)1982.8 
 TY005 淀川橋梁 きたぐに
 TY007 淀川橋梁 きたぐに 
👇山崎~長岡京 1985.7 583系12両化された、向日町への回送列車  
 TY450 高槻~山崎  583系きたぐに
1985年の583系への置換後も、山へのアプローチとしてよく「きたぐに」利用しました。

吹田機関区撮影会 1986

1986年8月24日JR分割民営化を前にして、吹田機関区にて撮影会が行われた、
当時は各方面でこのような行事が多く、この時も天気が悪い中出動している。
展示車両はEF661・EF6514・EF651001・EF5866・EF58150・C62だった、
展示車両は少ないいが関西にゆかりの車両、EF58が2両もそろって展示された。
EF5866は置き換え廃車後の姿で、「東海道本線電化開業・つばめ」のマーク付き、
今は京都鉄道博物館のEF58150も、茶色に塗りかられる前の塗装で登場している、
よせ集められたであろうヘッドマークの数々、なぜか「みやび」のマークもある、
展示走行線をC62が「つばめ」のマークを付け、往復展示運転を行っていた。
国鉄からJRになりこのような展示会は激減、JR西についてはほぼ絶滅的状況だ、
EF5866はその後奈良駅で保管、1996年に解体されてしまったのが残念だった。
👇全景
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👇C622「つばめ」・EF5866「つばめ」・EF58150「さくら」
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👇C622「つばめ」・EF5866「つばめ」
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👇EF6514「みやび」・EF661「つばめ」
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👇EF651001「つばめ」・EF6514「みやび」
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撮影した写真にEF58150の「なにわ」もあることから、時々交換されたようだ。



表銀座縦走 槍ヶ岳を目指せ⑤

1984.9.9 残念ながら雨はやんでいませんでした、美味しい朝食をいただき登山道へ、
穂高奥宮と明神池を詣でて小梨平まで樹下の小道を歩く、上高地はもう観光地で通過、
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そのまま梓川の横を歩きウエストン広場、田代池を得て大正池の畔まで小雨の中を歩く、

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大正池でバスを待っているとタクシーの運転手につかまる、料金交渉の上バス代同等、

格安で松本まで相乗りで向かう、松本からは大阪行きの「しなの」を捕まえて帰宅した。

プロフィール

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