日高川橋梁の和佐寄りの線路に肉薄した大銀杏、今ちょうど見頃を過ぎ落葉し始めている、
此処は元は地元の神社があった場所で、丹生津姫命(真妻大明神)を祭る神社であった。
丹生津姫命と言えば丹(水銀)にかかわる神様で、付近には「ごんじい穴」と呼ばれる
古代の水銀採掘遺構が残っている。高野山のふもと丹生津姫命神社の古文書の中の一文に、
「日高の江川の丹生に忌杖刺し給ひ」の文があり、ここ旧江川地の丹生神社の事であろう。
銀杏の老木(根廻り4.2m)の正面に、花崗岩で作られた鳥居と灯籠が2基のみ残つている、
御旅所遺構は灯籠には天明2年(1782年)、鳥居には天保9年(1838年)と刻まれている。
御旅所とは祭礼に置いて神社の神輿が休憩する場所、または神幸の目的地をさすものであり、
氏子たちによつて重要な場所であるが、社が必ずしも建造されていたかは定かでない。
👇樹齢不明の銀杏の老木・ひこばえも見える


👇銀杏の木をかすめるように列車が走る。


👇和佐駅のこ線橋からもその姿が望める。

鉄道橋梁とせめぎあうような位置関係ではあるが、複線電化開業時の線路変更で今の状況に、
線路の内側にあり信号・前方確認の妨げになるが、後から来たのはJRの方で文句は言えず、
視認性の問題等で伐採されないのは神格を恐れ、又は祟りを恐れて切れないのかもしれない。
此処は元は地元の神社があった場所で、丹生津姫命(真妻大明神)を祭る神社であった。
丹生津姫命と言えば丹(水銀)にかかわる神様で、付近には「ごんじい穴」と呼ばれる
古代の水銀採掘遺構が残っている。高野山のふもと丹生津姫命神社の古文書の中の一文に、
「日高の江川の丹生に忌杖刺し給ひ」の文があり、ここ旧江川地の丹生神社の事であろう。
銀杏の老木(根廻り4.2m)の正面に、花崗岩で作られた鳥居と灯籠が2基のみ残つている、
御旅所遺構は灯籠には天明2年(1782年)、鳥居には天保9年(1838年)と刻まれている。
御旅所とは祭礼に置いて神社の神輿が休憩する場所、または神幸の目的地をさすものであり、
氏子たちによつて重要な場所であるが、社が必ずしも建造されていたかは定かでない。
👇樹齢不明の銀杏の老木・ひこばえも見える


👇銀杏の木をかすめるように列車が走る。


👇和佐駅のこ線橋からもその姿が望める。

鉄道橋梁とせめぎあうような位置関係ではあるが、複線電化開業時の線路変更で今の状況に、
線路の内側にあり信号・前方確認の妨げになるが、後から来たのはJRの方で文句は言えず、
視認性の問題等で伐採されないのは神格を恐れ、又は祟りを恐れて切れないのかもしれない。



























