2026年01月

行先票発掘作戦⑥  保存方法?

先日友人と部品の交換を行った、彼とは国鉄時代からの同じ趣味で大発掘の協力者、
同じような物を集める事が好きで1/1もする方、納戸か一緒に部品即売会で徹夜もした、
彼は奈良地区限定で趣味の範囲を決めて、部品収集や写真などを精力的に進めている。
同時期に蒸気機関車のナンバープレートも購入、現在も同趣味を無理せず細続けている。
彼からの申し出により部品の交換が成立、私が交換用に提供したのは奈良線の行先票1枚、
彼が交換に用意してくれたのは紀勢線の古物、写真下の2枚の物で客車用と気動車用の物だ。
  177   新宮・和歌山市 天
  180   湯浅・紀和 天
彼と私の違いと言えば一目瞭然だ、彼は収集品を絶対に清掃しないで購入時のまま保管、
だから油がついていようと錆が吹いていようと、手を加えずどろどろの状態で置いておく、
この2点も油が染みついて手で持てば手が汚れる、バッチイ状態物と一言でわかる物だ。
どこかの鉄道部品店の店主?じゃないが、ユーチユーブでもその方が言ってるみたい、
いい味が出ているとか歴史を感じるとか、使用感が云々とかで真贋も区別するようだ。
部品相場が高騰する辺りには廃品商売するJR、それに値を吊り上げる鉄道部品店があり、
高く売る為に汚し使用感を模造する輩までいるとか、複製(新)品に錆を付け傷をつける、
サンドブラストや鑢でくたびれ感まで演出するなど、部品は相当やばくなっているそうだ。
それに右え倣えが友人の部品の保管方法だ、これは趣味の人以外が見ればゴミに見える、
私が交換した物は彼の手でどのように変わるか、数年後にどうなっているか興味津々だ。
我が家では嫁さんの強い偏見があり、化石は石ころ鉄道部品は屑鉄という評価を受ける、
少しでも綺麗にしておかねばならないし、汚れ物を人前に出す事は恥ずかしいと言う環境、
鉄道部品は綺麗にしたら値打ちが下がると言うが、実際に使用されていた時は綺麗だった。
特別な運用や条件が重なって汚れる以外、時々洗浄されるし自然環境でも洗浄されていた、
家に持ち帰った行先票はま家庭洗剤で洗う、きつい汚れはクレンザーで磨きをかけ洗浄、
最後に錆の有る場所には軽く錆止めを塗布する、その過程が終了して嫁さんに見せれる、
それでも評価はやっぱり屑鉄の扱い、自分的には使用当時の輝きを取り戻したと満足する。
  YAMA4821m
  YAMA4821
上の程度までなれば充分であとは想像の世界、上の客車用は所属所「天」の表示が無い、
客車が12系に変わる前の昭和57年頃ならば、121レと126レに使われた物でしょうか、
下の気動車用と思われるものですが、現在の紀和駅が和歌山駅から紀和駅に変更後の、
昭和43年以降の区間運転用に使われた物?、当時は和歌山市止と紀和止の列車があり、
形状から気動車用の差しきみ行先票です。先の写真と違い屑鉄から行先票に変身です、
この程度の洗浄なら真贋はともかく関係なし、うちの範囲では家に置かせてもらえる。
鉄道の部品店やオークシヨンで見るナンバープレート、油と煤汚れがが本物の証だとか、
実際の蒸気機関車はあんなに汚れていません、鉄道部品で商売する人の真贋の言い訳。
私の知る実際の蒸気機関車運転士の方、塗装を全て剥がして金ピカで保存していました、
自分が最後に乗車した記念のカマだと自慢、ピカピカで床の間に鎮座しかっこよかった。
友人の後押しでナンバープレートを購入する事になり、若板のC5828かC58224か判断、
豊肥本線の無煙化で最後まで残った7両のC58の内の1両、和歌山機関区の配置有りで、
C58224に決定し友人も新宮のC58を購入、C58224は奈良~王寺~和歌山~大分と移動、
47年大分で廃車なので同番号は4枚が現存かも、鷹取工場製の文字は丸みの無いCが特徴、
使い古されて4の字の付近は外枠と同じ高さ、塗装も奈良時代の赤が残ると言う状態。
私が購入時は汚かったナンバープレートですが、他の友人の忠告も無視して磨きました、
錆の浮いたナンバープレートは輝きを取り戻し、使用されていた当時の姿に戻りました、
私の心象風景に残る蒸気機関車の砲金色です、それ以降も定期的に磨きをかけています。
  IMG_20191226_160602a
  IMG_20191226_160602b
鉄道部品自体が利殖の対象となっている現在、高額うんぬんよりもそれを愛でる愉しみ、
ビフオアー・アフター値打ちがどうのこうのと言うより、こういう愉しみ方も有りか?。

行先票発掘作戦⑥ 急行 きのくに

紀勢線のDC列車と言えば「くろしお」だが、それよりも愛着があるのが「きのくに」だ、
当時のくろしお号は海南駅には停車せず通過、どこに行くにも「きのくに」を利用した。
当時はまだ急行ではなく「準急」だったように思う、阪和線内では「直行」に抜かれるが、
乗り換えなしで天王寺まで行けるので便利で、大阪の知人宅に行くときはもっぱらコレ1本、
自腹で旅行に行き始めて特急の敷居は高く、安価な急行列車は本数・種類が多く便利だった。
紀勢本線と言えば「急行きのくに」1958年に運航開始、紀勢電化後も残り1985年にh廃止、
最終的には急行が「くろしお」に格上げされた。当時はきのくにと競合する急行が多く運転、
思い出すだけでしらはま・南紀・紀州・はまゆう・はやたまなど紀南方面へ足となっていた。
鉄道部品の整理中に「きのくに」の愛称版を見て、両面同じ名称の少ないのもうなずけた・。
   きのくに・きのくに
   きのくに・紀州 プラ
手元にある愛書板で上下で表面と裏面を合成している、上の写真は琺瑯鉄板製の物で、
南紀・きのくには準急時代の物と思われる、下段のさよならきのくには和歌山機関区製、
さよなら臨時列車用に作られたもので販売品、それ以外は天局内で物品販売会で購入した。
   👇広川ビーチ~紀伊由良間 さよならきのくに号 1985.3.11 
   DC075 850311 湯浅~紀伊由良 さよならDC
   👇紀三井寺~黒江 定期急行きのくに 302D 一日だけのHマーク 1985.3.13?
   DC021 紀三井寺~黒江 さよならきのくに
   👇和歌山駅 ???
   IMG_20180811_0010
   👇和歌山機関区   1985.3.12

   19850312-1_0011 和歌山機関区
   👇広川ビーチ~紀伊由良 「きのくに」 306D 1985.3.11
   DC059 850311 湯浅~紀伊由良 きのくに
   👇黒江~紀三井寺 「きのくに」303D
   DC025 黒江~紀三井寺 きのくに
   👇六十谷~紀伊中ノ島 紀勢電化25周年で復活運転された「きのくに」203.10.11
   KD200  031012 六十谷~紀伊 紀勢線電化25周年 きのくに1号
ちょこっと思い出の写真をお楽しください、写真撮影がおろそかになっていますが、
古い写真の整理も並行して行っています、紀勢線阪和線のDC紹介も随時行います。

表銀座縦走 槍を目指せ 1984.9.5~9 ②

1984.9.7

夜間寒さで何度か目が覚めた、部屋内の予備も布団を漁り朝まで温かくして眠れた、

日の出を撮影しようと小屋の表に出るが、薄雲が空を覆い太陽は薄日程度で見えない、

寒いはずだ木々の葉は紅葉したまま氷つき、足元には薄氷や霜が降りて白くなっている。
  IMG_20211025_0049

こんな時は山小屋は助かる中はストーブが入り、朝食が提供されて暖かく快適だった、

今日は長丁場なので早立ちを選択、準備を整えて一番に小屋を出発することが出来た。
  IMG_20211025_0050
  IMG_20211025_0053

喜作新道と呼ばれる登山道を進む、ほどなくして北鎌尾根の急険な稜線が見え始める、

天井沢から取り付き北鎌尾根を行くルートは、槍ヶ岳への最も危険なルートと知られる、
いつかは挑戦してみたいルートではある。思っていたよりも快適な尾根歩きで西岳へ、

ここからは一気に水俣乗越へ下る、そしてまた同じだけ・・それ以上の登りが待つ。
  IMG_20211025_0054
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  IMG_20211025_0069

水俣乗越から見上げる槍ケ岳は圧倒的な威圧感、岩だらけの岩峰で優しさは見えない、

今下っただけの高度を今度は登り直す、鉄梯子が鎖場が続き岩だらけのテラスで昼食、

小さな動物がうろちょろしている、よく見るとイイヅナと呼ばれる「オコジョ」だった、

天気は良くないが寒くもなく時折日も差す、ヒュツテ大槍まで嫌な岩尾根歩きが続く、

この付近からの槍沢の眺めは素晴らしい、足元からスーッと切れ込み高度感が増す。
      IMG_20211025_0074

右に天井沢左に槍沢をみて槍の基部へ、岩くずだらけのトラバース道を進み登る、

もう間近に槍岳山荘が見え山頂の登山者も見える、14:00槍岳山荘に到着した。

宿泊の手続きを行う今日はすいているので個室、カメラだけ持ち山頂の列に加わる、

いきなりペンキで示されたルートの岩登りの道となる、鉄梯子・鎖・上下分離の道、

岩をつかみ登る15分の岩登り、ひと汗をかき3畳ほどの山頂(3180M)に飛び出す、

周りに自分より高い山がない絶頂の山頂、時折東鎌尾根からガスが飛んできて白い闇、

一瞬自分のいる場所の高度感が失われる、ガスが去ると北鎌尾根の異様な岩稜が見える、

登山者が一人見えるがルートなど見えない、山頂で時間を過ごす間にその人が到着、

同じ山荘に泊まっていたそうで4:00に出発、北鎌尾根は2回目で成功率は40%とか。
   IMG_20211025_0079

山頂をかすめるガスが多くなってきたので下山、夕日は見えず小屋の中で過ごした・・

今日のコースタイムはガイドブックと同じ、余計なのはコーヒータイムがやはり5回、

これをうまく処理すると軽く2時間ほど浮く、目下の修正点はコーヒータイムだ。

下見

例会の下見を兼ねて広川町へ
朝の空模様は曇り空で動きたくない気分でしたが、天候は回復と言う事で例会の下見、
この産地は実は県立自然公園なのですが、紆余曲折してまたもや私有地となる見込み。
今回はリゾート開発でホテル建設の噂もあり、どのようになるのか残されるのか不明?、
私有地と成れば大っぴらに化石採集など無理かも、海岸で石ころ拾いくらいは大丈夫か、
まだまだ内容が判らないので今のうちに?、以前から時々行く場所なんですが道が崩壊、
しかし釣り人が降りるくらいだから大丈夫?かと、と言う事で駆け足で行ってきました。
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前々からある海岸への道は通行不可で、降り口を少し南に移動すると降りる事が可能で、
全く問題ない事が判りました・・・、海岸は依然と変わりなく玉砂利と砂の海岸が残り、
手前にはジュラ紀の石灰岩の壁と転石、奥には火成岩に取り込まれたシルル紀の石灰岩、
以前と変わらぬ美しい玉砂利がありました。残念なことはシルル紀石灰岩の露頭の変化、
以前は風化したクサリサンゴを見る事が出来ましたが、無残にも破壊されて崖下に落下、
小割された状態で海岸に集められていました、数日前の賞味期限のおにぎりの袋が残り、
最近誰かが採集に入ったようで荒れて、大き目に割られた石灰岩が摘まれていました。
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近くには大きすぎて割られていない石も、採集跡に残る石を小割して霧吹きで濡らすと、
あら不思議フアボシテㇲらしきサンゴが、先の採集者の方は此処の石を知りませんね。
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ジュラ紀の方に行ってみると・・ここではルーペは不必要で石の表面観察で充分です、
何かわからない皴入りの石灰藻みたいな塊や、シダリスの棘やウミユリの茎の部分。
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肉眼での観察ならごく簡単に出来ますが、いざ採集となると硬いです少し変成してます、
結構面倒な採集になりそうですが、この状態ならば大人数での例会が出来そうです・・。

表銀座縦走 槍を目指せ 1984.9.5~9 ①

第1回の北アルプス縦走(1983年・立山剣)は、コースタイムに課題を残し終了した。

1984年は春の九重連山縦走に始まる、秋の北アルプスはどこに行こうかと健闘した、

メンバーの希望はもちろん「槍ケ岳」に登りたい、北アルプスの入門コースを探す、

燕岳から槍ヶ岳を目指す表銀座縦走に決定、今回はテントではなく小屋泊まり、

小屋泊まりの装備ならコースタイムで歩けるか、お互いに確認する意味合いも含む。

ヤマケイのガイドブックを参考にコースを私が組んだ、中房温泉~合戦尾根~燕岳

~大天荘(泊)~西岳~水俣乗越~槍ヶ岳~槍ケ岳山荘(泊)~南岳~天狗原~槍沢

~上高地(泊)夜行1泊・山小屋3泊・4泊5日(予備日1日)でコースを設定した。

1984.9.5~6

夏休みが終わり臨時列車もないので長野方面は、「ちくま」→アルプス松本で乗継ぐ、

テントと食糧が無いだけではあるが、ザックの重量は20Kgを軽く越えていしった。

「ちくま」乗車前に食料の追加があったが、それは車中で各自の胃袋に消えたしまう、

大糸線からはピラミダルな常念が良く見えた、天候は予想どうりでまずまずのようだ、

有明駅で中房温泉までのバスを待つ時間が長く、他の登山者を誘いタクシーで中房へ。
     IMG_20211025_0002

数日前までは夏の集中豪雨で一部不通だったようだ、バスより2時間早着で中房温泉へ。

中房温泉から合戦尾根を得て燕岳に至る急坂、北アルプス3大急登の一つと言われる、

他の2つはブナ立尾根と早月尾根があり、日本三大急登などというのもあるらしい、

中房温泉からの標高差は約1300mもある、確かに登り始めから胸突き八丁が続くが、

途中からは尾根筋の快適な展望が得られるなど、苦しい中にも癒しの空間が所々にある、

中房温泉でコーヒータイムをしたのに、さっそく富士見ベンチでコーヒータイムの出現、

こうなると必ず30分近いタイムロスが発生、我々の足が遅いのではなくこれが原因か、

汗にまみれて合戦尾根にたどり着いたが、季節がずれていてスイカは置いていなかった。
  IMG_20211025_0010

木々の高さが低くなるとともに展望が開ける、這松と花崗岩のザレた道に変わり始めた、

最後の急坂を登ると燕山荘の庭に到着、遠くには緑に囲まれた花崗岩の燕岳が見えた。

広場の一角で昼食を取り軽装で山頂へ、這松と岩塔の間をすり抜けながら山頂に向かう、

途中の登れそうな岩があったのでボルダリング、岩の頂上でスリルのある写真を撮る、

まるで箱庭のような燕岳山頂(2763M)へ、遠くに槍ヶ岳や昨年登頂した剣岳も見える。
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山頂を辞して大天井岳へ歩を進める、山頂尾根筋の道でほぼ水平に近い道幅も広く快適、

それだからこそ周りの山々が気になる、地図を出し山を確認しながら歩くので遅い歩み、
高山植物も多くそちらにも目が行ってしまい、なかなか大天井岳が近づかないジレンマ、

目の前に見えると今度は大きな下りが待っていた、水平道に慣れた足に下りはつらい。
  IMG_20211025_0042

最低鞍部にはこの道の創始者「小林喜作」のレリーフがある、此処からまた登り・・、

時間に苦しい状態になる山小屋着は18:00頃、夕暮れの始まった小屋に飛び込んだが、

到着時刻が遅く食事は出せないとのことで、予備食を使用して自炊に切り替えて対応。

アルコールだけは豊富にあり、第一日目の反省と明日の予定を確認して21時就寝する。

プロフィール

c58224

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